《Le Villi》を語る Vol.1

― プッチーニの"第一歩"、その陰にあるドラマ ―
マエストロ(私):改めて《Le Villi》を読み返してみると、短いながらも濃密な作品ですね。演奏時間こそ長大ではないものの、内容の密度は尋常じゃないと感じます。
教授:まさにそうです。これは1883年、ソンツォーニョ賞に応募するために書かれた一幕もののオペラ。結果は落選でしたが、そこからの逆転劇が始まります。
マエストロ:プッチーニの才能を信じた仲間たちが自費出版と上演を実現し、1884年5月31日、ミラノのダル・ヴェルメ劇場(Teatro Dal Verme)で初演されましたね。一幕構成での上演でしたが、観客は熱狂。プッチーニの名が一気に広がりました。
教授:その成功がリコルディ社との契約へとつながり、同年末には加筆改訂版がトリノの王立劇場(Teatro Regio)で上演されることになります。つまりこの作品が、プッチーニの"プロ作曲家としての出発点"だったのです。
幻想と復讐の舞台構成
マエストロ:その改訂版では、間奏曲や舞踊が追加されて、実質二幕構成のような形になりましたね。
教授:ええ。バレエやパントマイムの追加によって、幻想性と神話性が強まり、"呪いの踊り"というテーマがより前面に出てきました。
マエストロ:精霊ヴィッリたちの踊りが、作品全体に不穏な美しさを与えているように感じます。
若きプッチーニ、まだ台本に口を出せなかった時代
マエストロ:台本はフェルディナンド・フォンターナの筆によるものですが、構成にやや粗さも。
教授:当時のプッチーニは、リブレットの改訂に関与できる立場ではなかったのです。だからこそ、音楽によってその隙間を埋めている。
マエストロ:物語の"説明不足"すら、音楽が代弁している。すでに"語る音楽"が芽生えていると感じます。
教授:その通り。むしろ、この不完全な台本があったからこそ、プッチーニの作曲的直感が研ぎ澄まされたとも言えるでしょう。
まとめ:一歩目にして、すでに "プッチーニ"
恋、裏切り、死、そして踊り。
この作品には、のちの《トスカ》《蝶々夫人》《ラ・ボエーム》に通じる原型がすでにあります。
短いけれど、濃密で忘れがたいドラマが、若きプッチーニの筆からあふれ出している。
《Le Villi》を体験するということは、プッチーニという天才が扉を開けた"その瞬間"に立ち会うことなのです。
#妖精ヴィッリ
#ヴィッリ
(写真は初演が行われたミラノの Dal Verme 劇場)