《マノン・レスコー》7 その pp は、誰に向けた指示?

楽譜の pp(ピアニッシモ、ごく弱く)は、誰に向けた指示だと思いますか?
当たり前のようですが、その段を受け持つ人への指示です。
ただ、オペラの楽譜では、それだけでは読み切れない場面があります。
《マノン・レスコー》の第4幕。舞台は、ニューオーリンズのはずれの荒れ野です。
日が暮れていく中、疲れ果てたマノンは、デ・グリュー(Des Grieux)にもたれて歩き、ついに倒れてしまいます。
やがて、こう言います。
La sete mi divora - amore, aita, aita!
(のどが渇いて、たまらない。あなた、助けて、助けて!)
直訳すると「渇きが、私を食い尽くす」。
渇きが、まるで生き物のように、彼女を内側から食べていきます。
客席が、胸の裂ける思いで聴かなければならない一言です。
プッチーニは、この歌い出しに straziante(胸が張り裂けるように)と書きました。
そして旋律は、ミ、レ、ド♯と下りていき、真ん中のドのすぐ上まで沈みます。
この痛みと恐れを、プッチーニは、ソプラノとしてはかなり低い音域で書いています。

譜面:《マノン・レスコー》ピアノ伴奏譜(Ricordi 版)より IMSLP
ところが、ソプラノの低い音域は、オーケストラが鳴ると、客席に届きにくくなります。
だから、pp と書いてあるのは、オーケストラの方です。
この歌い出しのマノンの段には、強弱の記号がありません。プッチーニがマノンに書いたのは、pp ではなく straziante でした。
オーケストラが張り切りすぎると、マノンは、渇きより先にオーケストラにのみ込まれてしまいます。
では、マノンは小さな声で歌えばよいのでしょうか。そうではありません。
歌手の声の力強さや表現は、その言葉がどんなドラマトゥルギー(劇としての運び)を求めているかで変わってきます。
楽譜の f(フォルテ)や p(ピアノ)は、音の大きさだけを表しているのではありません。
むしろ、音色や、心の様子や、距離感を表していることの方が多いのです。
作曲家は、ドラマのすべてに思いを込めて、f や p のような記号を書いています。それは音量だけの指示ではなく、音楽の表現として、発想として書かれたものです。オペラでは、とくにその傾向が強いのです。
pp は誰に向けた指示か。この場面の答えは、段のとおり、オーケストラです。
けれどもそれは、マノンの声を客席に届けるための pp です。そして、ただ「小さく」という意味だけではありません。「La sete mi divora」の下にプッチーニが書いた pp には、この場面のドラマが込められているのです。
デ・グリューは答えます。
Tutto il mio sangue per la tua vita!
(君が生きるためなら、ぼくの血を全部あげよう!)
水の一滴もない荒れ野で、差し出せるものは、もう自分の血しかありません。
読者の皆さん、次に第4幕を聴くときは、マノンの声の下で、オーケストラの pp がどんな音色で、どれほどの距離感で聞こえてくるかにも、耳を傾けてみてください。

