《Le Villi》を語る Vol.6

― 父グリエルモのまなざし ― 娘アンナと別れゆく村の夕景 ―
教授:
村人たちがロベルトの門出を祝って盛り上がる中、アンナの父・グリエルモが登場します。
彼の語りには、田舎の父親らしい素朴さと温かさがにじみ出ていますね。
マエストロ(私):
「Son vecchio ma in gambe(年寄りだが足腰は達者さ)」という一言に、
彼のユーモアと自尊心が感じられて好きです。
教授:
イタリア語の「voi」も興味深いです。アンナに向かって「voi」と呼びかけるのは、
現代では少し古風ですが、かつては敬意の表現でした。
マエストロ:
この作品では「Ebbene」「Può fare」など、今ではあまり使われない間投詞も多いですね。
たとえば「Ebbene」は、「それでは」「さて」といった場面転換や思考の切り替えを示す語で、軽く話題を導入するニュアンスがあります。
「Può fare」は直訳すると「できるかもしれない」ですが、ここでは「まあいいだろう」「そういうこともある」という許容の感情や軽い諦めを帯びています。
演技上の工夫が必要なニュアンスだと思います。
今ではあまり使われない間投詞も多いですね。
演技上の工夫が必要なニュアンスだと思います。
教授:
村の空気が、彼の言葉づかいを通して伝わってくる。
言葉の中に「間」がある。間があるからこそ、娘を送り出す寂しさも滲む。
マエストロ:
そしてこの場面の音楽は、祝祭的な高揚から少し離れ、
しっとりとした色合いになります。グリエルモの語りが始まると、
管楽器の響きが和らぎ、木漏れ日のようなハーモニーが広がるんです。
教授:
プッチーニは、娘に語りかける父の心情に寄り添いながら、
聴衆に"次の展開への静けさ"を準備させています。
マエストロ:
群衆が去り、村が夕闇に包まれる。
この静けさがあるからこそ、アンナの「Non ti scordar di me」が一層際立つんです。
まとめ:村の"父"が語ることで、物語に"間"が生まれる
賑やかな舞踏と合唱の後に訪れる、父と娘の対話。
その静けさは、次に訪れる心情的な嵐の"余白"となる。
グリエルモの言葉が語るのは、村の風景であり、
家族の時間であり、そして何よりも、「娘を信じる父のまなざし」なのです。